「ダニエルが僕に弟子入りする。誰にも言うな」
Stefano Bemer
ダニエル・デイ=ルイスが俳優業を引退する。それを知って安堵に似たような気分を持ったのは、夫も同じだった。
ダニエルに私が出会ったのは1998年の冬だった。彼に夫を紹介したのはその半年後、フィレンツェ、Stefano Bemerの工房でのことだった。工房は、サン・フレディアノ通りに面した店続きの奥に位置している。店から工房に入り店に向かって座っているのが親方ステファノの定位置。ステファノに向かい合って腰掛けているのが弟子の職方。ステファノがこの店を開いた当初からステファノの位置は変わらなかったし、その後独立をした最初のお弟子さんドイツ人のサスキアの時から一番弟子がステファノと向かい合っていた。その後スタッフが増えるにつれ向かい合うのが2名になり、ステファノの隣に腰掛け作業する者、奥の壁に面して置いてあるグラインダーの前で作業する者もあったが、工房は4人入ればそれ以上は溢れて、コンパクトなだけにかなり急な螺旋階段上2階のカッティングスペースか事務室に押し出されることになった。手元の手紙で確認するとこのワーク-ショップ開店は1996年の11月で、この店の開店と同時に以前の小さな店は靴のラスト置き場になった。その頃は未だセカンドラインや既成靴の販売はなく、Stefano Bemerはここだけだった。
店のオープンから2年後ステファノから電話があった。映画に関心がある私にステファノが訊いて来たのだ。Daniel Day-Lewisどう思う、と。良い俳優だと思う、ハリウッド映画はほとんど知らないけど。でもなぜ、と問う私に待ってましたとばかりにステファノが声を弾ませ、でもすぐに声を落とし電話口でささやいた。こうした時のステファノは決まって私に手品のような嘘をつく。私にその手の嘘をつくのが愉快でならない。
「ダニエルが僕に弟子入りする。誰にも言うな」、「言わない、そんな嘘」。
空港まで迎えに来てくれたステファノと共に工房に入って行くと、向かい合わせの席で背を向けた男性が振り返り立ち上がった。背が高い。えんじ色大きなエプロンの紐を前に結わいた彼がにこやかに迎えてくれた。ダニエル・デイ=ルイスだった。鮮やかな芸を披露した手品師のようなステファノが肩を揺らし笑いをこらえた。
ダニエルを紹介されたのが店でなく工房と言ったのは、店の顧客としてではなくStefano Bemerの職人として出会ったからだ。私は結婚を機に仕事から遠のいていた時期で、仕事で身動きの取れない夫に代わって靴のあれこれを教わる為にフィレンツェのステファノの元を訪れていた。ステファノからの誘いと夫の願いもあって引き受けた私の一ヶ月の滞在を、むしろ一番喜んだのは私だったに違いない。
平日は朝からステファノが手続きしてくれたイタリア語教室に出かけ、授業が終わるとステファノの工房に直行する毎日だった。ステファノからはイタリア語の授業をさぼるなと言われたけれど、2週目に入ると午後の授業を出席する方が少なくなってきた。昼はほとんどステファノと一緒にいたので、工房から歩いて20分程もかかり、バスを使うと一方通行がめっぽう多いフィレンツェの街中はさらに不便で東京の交通網に慣れている私は学校に戻るのが徐々に億劫になってきたのだ。一方ダニエルは私が工房に到着する時はいつも既にいて、昼休みになると一旦帰宅し午後の就業前には必ず到着していた。ダニエルの勤勉さと比較されステファノに説教されると、ダニエルが私に代わって言い訳してくれた。夫から毎日届くファックスを渡してくれるのは、秘書のクリスティアーナだった。おそらく既にe-mail はあったと思うが、フィレンツェの工房には未だ普及していなかった。ファックスは1日に複数回届くこともあり、周囲の皆からひやかされたが、内容はもっぱら靴に関する質問だった。その都度私はステファノに質問し、回答を得てはファックスを送り返した。ステファノが留守の時に代わって教えてくれるのはダニエルだった。書籍の知識でなく現在のヨーロッパでのドレスコードやこのような場面でこのような靴を履く等日常の用途と考え方を教えてくれた。皮革の知識は周囲の専門業者を含めステファノをおいて右に出るものは誰もいなかった。ホースハイドとコードバンの違いなどを覚えたのもこの時だった。革の質の良し悪しをステファノは匂いから教えてくれた。2階のカッティングスペース床から天井までの壁面の棚にロール状の革がぎっしり収まっている。店に入るとサンタマリアノッベラのポプリの香りに迎えられるが、それとは違う熟成したような樹木の芳しい匂いが革から立ち込めていた。クロコダイルや象、クドゥ実際には見たこともないような種類の動物の革の数々があった。
もっぱらダニエルは一階の工房で作業をし、私は2階の事務所で靴に関する本を読んだり、製靴技法をノートにとったりした。その冬は雪混じりのみぞれが降る日が多かった。冷たい雨が雪に変わるとそれだけで少し暖かくなったようにも感じたが、石畳みの通りを通って到着する頃はいつも雨用に履いているコマンドブーツに泥が跳ね上がった。そんな日は下の工房で靴を磨いた。靴の磨き方を教えてくれたのは、サスキアだった。包帯のように細長いメリヤスのウエスを、二本の指から手首の下までくるくる巻き付けてクリームを取り革の目に合わせて小さな円を描くように磨いた。ステファノ式はごっそりとクリームを直にブラシですくい取り、スピーディーにブラシをかけ磨いた。見る見る間に靴の曲線が際立ち、フォルムはより立体的にメリハリをつけ輝いた。私は自分の靴以外は磨かせて貰えなかったが、ダニエルは客の靴も磨いていた。ダニエルと二人きりになったある日、空いている低い作業椅子に腰かけ靴を磨いているとダニエルが私に訊ねた、自分の出演作品のどれが気に入ってるか、と。ステファノは「マイ レフトフット」が好きだって、そう答えると、それで光世は、と聞かれた。実はそれほどダニエルの出演作品を見ていないと気まずかったが正直に回答した。誰もがダニエルをジェントルマンだと評価したが、とりわけ彼のジェントルな感じは、誰かが弱い立場に置かれた時や気まずい思いをした時に発揮される。微笑む彼に促され、でも「マイ レフトフット」は見てないけどミラン・クンデラ原作の、と言うと直ぐにダニエルが「存在の耐えられない軽さ」と続け、そして一番良いなと思ったのは「my beautiful landlet」。ピンポン球が軽やかに卓球台を往復するようなやりとりだった。見たんだ「my beautiful landlet」、ダニエルは意外な表情を見せた。私たちが今まで以上に親しく話すようになったのは、これがきっかけだった。水たまりでつけた泥に苦戦している私に代わり、私の靴を磨いてピカピカにしてくれた彼にチップを渡したことがある。嬉しくなって何も考えずにありがとうと渡したチップに、思いがけず私以上の嬉しさを感じたのは彼の方だったらしい。彼からそれを聞いたステファノが「チップを渡した相手はアカデミー賞受賞俳優だ、分かっているか」となんだか誰よりも嬉しくなってしまったのはステファノだったのではなかったか。
俳優を辞めて靴職人になればと言う私に、ひとりで決めてしまうわけにはいかない、とエージェントの仕組みや契約期間の長さを説明してくれた彼が見せた初めて沈んだ面持ちだった。彼にとってチップは俳優業の責務から解かれた証だったかもしれない。
イタリア語の上達は怪しかったが、靴に関する少しばかりの知識を土産に帰国した私はステファノに注文する靴のデザイン画をファックスした。半年後には今度は夫とふたりで夏休みをフィレンツェで過ごす計画をしていた。このデザイン画はクリスティアーナにはすこぶる評判で、彼女も欲しいと意気投合したがステファノには理解が出来ないと回答された。「これはヨーロッパでは子ども靴だ。自分のスタイルとは相容れない」これがステファノの返事だった。
革は雨にも粗暴な扱いにも耐える、丈夫なバスケットボールレザー。インソールは真っ赤、ストラップ付きでストラップホールはひとつ。ノルベジェーゼ製法でソールは分厚いヴィブラムのラバーソール。デザイン画の添え書きにステファノは渋った。
私の注文にもそれなりの事情があった。雨や雪の日はいつも茶色と黒のコマンドブーツ。寒い日にはうってつけだけれど、高温多湿の日本の梅雨には決して快適とは言えない。普段着のスカートとブラウスにも合わせやすい雨用の靴が欲しい。私も譲れなかった。そこでステファノから提案があがった。
ダニエルがこの靴を一から作るというのはどうだろう。
誰にも嬉しい提案だった。ステファノはハウスデザインを譲らずに済む。私のラストは既にあるが、ダニエルにとっては初めて一から任される注文靴。私にとってもダニエル最初のクライアント。ノルベジェーゼが新前職人に作れるだろうか。それぞれに一抹の心配もあったかもしれない。しかしそれ以上の期待が膨らむ提案だった。ステファノはジェントルマンと形容される身のこなしをするタイプではなかったかも知れないが、最後には誰もの喜びへと展開させる「こんな靴作りたくない」と言える優しさを持つタイプのジェントルマンだった。
そんなステファノをダニエルに見た。「ゼア ウィル ビー ブラッド」2007年に公開されたDaniel Day-Lewis主演作品だ。映画は一攫千金を狙う油田採掘者ダニエル・プレインビューの欲望に翻弄される人生を追う。彼は人から理解されようとはしない。自分の欲望を軸に行動を定め、それに照準を合わせ他人の欲望を見抜く。自分の嘘にすら騙されようとする偽善にまみれた宣教師、金に目がくらみ異母兄弟だと偽り現われた男。どす黒く身体を巡る血流は、地底からどっと一気に吹き上がる石油に重なる。
人の闇を見抜き、しかし自分の闇を制御できずにやがては自分自身に追い込まれるプレインビュー。その歩く後ろ姿にハッとしたとき隣の夫も同様で、そして笑った。ステファノに似てないか。
プレインビューに現われたのは、ダニエル・デイ=ルイスでなくステファノ・ベーメルだったのである。むしろDaniel演じるプレインビューはダニエル・デイ=ルイスとは似ても似つかず、歩き方や立ち居振る舞い、話し方だけではなく声までも別人だった。プレインビューとステファノのキャラクターも全く異なる。でも私たちはあのステファノに出会ったのだ。待ち伏せしていたパパラッチを蹴散らし、切っても切っても電話をかけ続ける新聞記者に顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「Daniel Day-Lewisはここにはいない」
その通りだった。彼らが追う俳優Daniel Day-Lewisはいなかった。そこにいたのは、Stefano Bemerの腕の良い職人ダニエルだった。
時には熱く激しさを見せるステファノだったが、どこか寂しげな後ろ姿はおそらくダニエルの記憶にも残っていたに違いない。
2012年7月28日にステファノが去り、それ以来私たちはフィレンツェに行くことができなくなっている。
それでもこんな風にも思うのだ。
「ステファノを見せてあげよう。誰にも言うな」
俳優Daniel Day-Lewis/ダニエルの鮮やかな手品で私は今も会える、と。
* 俳優をDaniel Day-Lewis、職人をカタカナで表記
* 店をStefano Bemer、人物をカタカナで表記
* この靴のロゴはStefano Bemer最初期のもので、1998年当時は既に使用されていない。このエピソードについてはいずれの機会に。
関連ブログ:
「第36回 Actor, Daniel・Day-Lewisに - PHANTOM THREADに寄せて」
「第37回 Actor, Daniel・Day-Lewisに - PHANTOM THREADに寄せて つづき」
「Stefano Bemerと共に」rengoDMS