〈前半〉からつづき
MMT自体は通貨・金融の視点からの経済理論であって、独自の貨幣の哲学を持たない。そこでMMTは、自らの「国家―貨幣」観を哲学的・歴史的に正当化するため、文化人類学者デヴィッド・グレーバー(一九六一―二〇二〇)の『負債論』(二〇一一)、ゲオルク・フリードリヒ・クナップ(一八四二―一九二六)の『貨幣国定論』(一九〇五)、アルフレッド・ミッチェル=イネス(一八六四―一九五〇)の「貨幣とは何か」(一九一三)「貨幣の信用理論」(一九一四)などを参照する。以下、この三者の内、MMTが特に強く依拠しているイネスの議論を見ておこう。
イネスは英国の外交官で、ワシントン駐在大使館に参事官として勤務していた時に、『銀行法雑誌』に、「貨幣とは何か」を投稿し、ケインズから高い評価を受けた。それによって第二論文も掲載された。その後、長い間忘れられていたが、MMTの主要な論客であるランダル・レイ(一九五三- )によって再発見され、注目されるようになった。
「貨幣とは何か」では、物々交換から貨幣が発展したという説が批判されている。アダム・スミスは『国富論』(一七七六)で、自分が提供できる商品を、相手が欲しがっていない場合、交換が成立せず、お互いのニーズと提供できるものが対応している相手を探さないといけない不便をどう解消するか、という問題から考察を始める。例えば、酒屋であるAはパンが欲しいけど、酒しか提供できず、肉屋であるBもパンが欲しいが、肉しか提供できないというような状況だ。常に、他の商品と交換可能な特別な商品が必要だ。スミスは、多くの人が常に欲しがる商品が、貨幣の先駆としての役割を果たすようになったと指摘する。例として、家畜、塩、貝殻、砂糖、なめし皮などを挙げている。
イネスは、少なくともその内の二つの例は、明らかな事実誤認によると指摘する。一つは、ニューファンドランドで乾燥したタラが交換のための共通の道具になっている例、もう一つは、スコットランドのある村で、職人が貨幣の代わりに釘をパン屋や酒場にもっていくという例である。
イネスによると、スコットランドで職人が釘を渡すのは、貨幣の代わりとしてではなく、自分が負債を負っていることの証拠としてである。むしろ証文の代わりだ。実際、つけを払った後で、釘は返却される。ニューファンドランドの乾燥したタラのケースは少し複雑だ。当初ニューファンドランドにヨーロッパ人は定住しておらず、タラ漁の期間だけ訪れる漁師と、彼らからタラを仕入れ、必要な日常品を販売する商人しかいなかった。漁師たちは、ポンド、シリング、ペンスなどの単位でタラを売り、その額を帳簿に売掛金=貸方(credit)として記入させる形で支払いを受ける。それによって日常品を購入した支払いをし、商人の側が負っている残額は、その後、イギリスやフランスで為替手形を発行する形で清算される。この例では、「負債」という観念を介して財の交換が行われているのであって、タラが貨幣の機能を果たしていると見ることはできない。スミスは、実物の商品でもある貨幣を発見したつもりで、実際には「信用 credit」を発見したのである。
イネスはスミスの誤りは、貨幣を一定の物理量の貴金属と結び付けて理解する習慣のせいで、取引に貴金属が介在しない場合、その代わりを求めてしまうことにあると示唆する。彼は、鋳貨の歴史を振り返り、貴金属の重量で表示される貨幣の単位と、実在する鋳貨の金属含有量が実際に対応していたことはほとんどないこと、鋳貨の物質的な組成が変化しても、貨幣の単位は変化しない場合があることを指摘する。
彼は誤りのもう一つの源泉として、貨幣を省略できる「信用」による取引は、近代の産物で、それ以前は、現金、端的に言えば、鋳貨で支払わねばならなかった、という想定を挙げている。実は、逆なのである。一九世紀に入って国家が貨幣鋳造を独占するようになるまで、鋳貨はあまり大量に製造されておらず、王家でさえ様々な種類の代用品で支払いをしていた。
アダム・スミスの貨幣誕生の物語の想定では、肉しか手元にない肉屋と酒しか手元にない酒屋は、現時点でお互いに相手の持っている商品を欲しがっていなければ、交換が成立しないので困るということだった。しかし、二人が正直な(honest)人間だったとしたら、どうか。二人は肉屋で欲しいだけの肉を得て、肉屋は二人からそのことに対する領収書(acknowledgement)を受け取ったとする。そこで、三人の属する共同体が、二人は肉屋に対して、村の相場でその肉に対応する量のパンや酒で弁済する義務があると認めれば、取引は成立する。
この理論では、売買は、ある商品を「交換の媒体 medium of exchange」と呼ばれる仲介的な商品と交換することではなく、商品を信用と交換することである。/これを実行するのに、これだけ単純なシステムしか必要ではないというのに、交換の媒体というぎこちない装置の存在を仮定しなければならない理由は一切ない。私たちが証明したのは金銀を受容するという奇妙な合意ではなく、義務の神聖さ(sanctity of obligation)という一般的な感覚である。別の言い方をすれば、この理論は、古よりの負債の法に基礎付けられている。
この理論を裏付ける「負債」という概念の痕跡は、紀元前二千年のハンムラビ法典にまで遡ってあらゆる文明社会に見出されるし、南アフリカや北米、ニュージーランドの先住民の社会でも「負債」とそれに対応する「信用=貸付」の概念は知られている。イネスは、実体化された「貨幣」以上に、「信用」こそが経済にとって重要な役割を担っていることを示唆する。
第一級の信用は、最も価値のある種類の所有物である。それは物体として存在しないので、重さはなく、場所を取らない。それはしばしばいかなる手続きもなく、移転できる。それは簡単な指示で、手紙や電報の費用をかけるだけで、あちこちに移動できる。それは、物質的必要を充たすために即座に利用できるし、最少の費用で破壊や盗難から守られる。それはあらゆる所有物の中で最も簡単に扱え、最も恒常的なものの一つである。
これは、金融制度の未発達な社会にも見られる、(「負債」とペアになった)「信用」一般についての記述だが、現代社会で「クレジット」と呼ばれている、抽象化された制度にも当てはまる。多くの国ではかつて、金銀の貨幣や私的な代用貨幣ではなく、「割符」が用いられていた。貸し手と借り手を特定する符牒さえあれば、「信用」は機能したのである。イネスは、現代における銀行を介しての手形割引も、バビロニアにおける粘土板、中世ヨーロッパにおける割符を介しての信用取引と基本は同じだと指摘する。
イネスは政府の発行する割符についても考察している。政府自体は役に立つ財はほとんど保有していないが、輸入商品や土地に税をかけて、その持ち主を「債務者 debtor」の地位に置くことができる。債務者になった人は、政府が発行した割符を持っている人に、日常品やサービスを提供することで、割符を手に入れ、それを国庫に納めることで、「債務」を帳消しにする。このシステムは一九世紀初頭まで廃止されなかった。
イネスはこの論文の帰結として、政府が債権者が受け取る「標準的『貨幣』standard 'money'」を規定するのは、取り引きを制限するだけで無意味であり、どういう貨幣を使うかは当事者同士の自由意志に任せるべきという立場を表明する。彼は、銀行が保有すべき現金準備高を法律で決めたり、銀行券の発行を抑制したり、各国政府が金を買い占めて高値に固定化したりする政策を批判する。
「貨幣の信用理論」では、国家による貨幣発行の負の作用に言及している。割符の場合と同様に、紙幣であれ鋳貨であれ国家による貨幣の発行は、国民に税負担を課すことと表裏一体の関係にあるので、国が発行する貨幣が出回れば出回るほど、国民は納税者としての負債をより多く負うことになる。政府が金銀の鋳貨で支払いをして、出回らせるのであれば、問題はないように思えるが、実際には、同じ重量の金銀より高い額面価値でそれを通用させるので、政府はその差を利益として吸収できる。純度の低い鋳貨を製造することで手元に金銀を蓄積した政府は、法律によって金銀の価値を高め、それを担保にする形で大量の紙幣を発行できる。政府の負債を清算するために貨幣の発行高を増やしていけば、当然、インフレ傾向が強まる。
政府が発行する貨幣を負債と捉える点ではイネスの認識はMMTと一致しているが、政府が負債を出すことで経済を積極的に動かすべきだとするMMTと違ってイネスは、政府が負債を増やし続けることに懐疑的だ。
現代人であり、金融業と直接の関係ない私のような人間は、「負債」という言葉を、他者に返済の重荷を負わせるネガティヴなニュアンスで捉えがちだ。しかし、イネスの議論のように、共同体的な「信用」に裏打ちされた、信頼関係の裏返しとして「負債」を見ることもできる。MMTは、前近代的な共同体や宗教に代わって、国家が(「負債」と表裏一体の関係にある)「信用」の最終的な担い手になったかのように論じているが、その見方は妥当なのか。私たちの社会を動かしている[貨幣=負債]が、どのような信用メカニズムによって支えられているのか、きちんと考えてみる必要があろう。