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第41回 あごうさとし『ペンテジレーア』上演を前に 菩提寺光世

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photo by m bodaiji

TWIN PEAKSのレーザーディスク(US製シュリンク付き)と今回上演される「ペンテジレーア」フライヤー



やはりドイツには何もかも呑み込んでしまう闇がある。
「ペンテジレーア」を読んで、そう思った。
連日の猛暑のなかに、秋風がすり抜けるような変化を感じ始めた9月の初め、あごうさとし演出「ペンテジレーア」のデジタルフライヤーを受信した。仲正昌樹氏からだった。
フライヤー画面の垂れ下がる赤黒いガーゼシフォンのヴェールは薔薇の花びらのようなひだを重ね、奥と手前の領域を遮蔽している。クレオパトラがジュリアス・シーザーを香油と花弁で魅惑したと言われる薔薇。官能の象徴と知られる妖艶な薔薇が匂い立つような赤いヴェールのドレープ。戦前のドイツ表現主義映画からも影響を受けたと言われているデヴィッド・リンチ「ツインピークス」の不思議な部屋を想起させる。ノイズを発する妙な具合の照明が市松模様のようなタイルを照らす不安定な空間で、彼岸から此岸へと謎のメッセージが送られる。ヴェルヴェットの赤黒いカーテンが重く部屋を隔て閉ざしている。この映画の邪悪な力に息吹きを吸入するキーワード"Fire walk with me"に、ヘルダーリンの"Jezt komme, Feuer"(今だ、火よ来い!)をいつも重ねてしまうのは、私だけだろうか。炎上する灼熱の輝き。このようにドイツからは呪術的な闇の力を感じることがある。ギリシャ神話アマゾンの女王ペンテジレーアは英雄アキレスに打ち負かされる。アマゾンの女王はドイツ(クライスト)を経由し、意図せずアキレスを食いちぎり、命を強奪する話に変わった。


あごうさとし演出「ペンテジレーア」の美術画面は、ぱっくりとあいた女性器を思わすヴェールのひだからあちら側の闇が迫っている。あちらとこちらのそのきわにプラスチックナイロンに覆われた若い男が、歯を剥き出した女に背後から抱き抱えられている。胎盤のような膜に覆われたアキレスとアマゾンの女王ペンテジレーア。彼女の胎内を連想させる奥の暗闇。アキレスに白い歯を剥き出したペンテジレーアは、もがき苦しむアキレスの膜を噛み切り解き放ち、誕生させようとしているのか。それとも。
性愛に潜む背徳の妖艶さが漂い、交じり合う憎悪と慈愛がひとつとなるかのような画面は、むせるほど匂い立つ錯覚へと促す。


クライストの戯曲「ペンテジレーア」仲正昌樹訳は、終結に向かって一直線に疾走するスピード感に貫かれていた。ビジュアルでは性愛に突き動かされた憎悪と慈愛、誕生と死が表裏一体となり混交し渦巻く様子が表現される。一方で翻訳は、モチーフは同様でありながら、時には激しくまた冷淡なほどに静まる胸の鼓動、呼吸、慟哭と沈黙を一人と多数がひとつになったり離れたりしながら真っ直ぐに突き進む。機関車のように車輪を回転させ、蒸気を吐き出しながら悲劇に向かって突進する。止めようとしてももはや後戻りできない地点に常に達している時間(活字)から、今にも飛び出さんばかりの音を聴くようなリズムがある。物語の経緯を瞬時に捉え表現されたビジュアルをカイロス時間に例えるならば、時を追って過去から未来へと一定方向へ展開する活字の戯曲はクロノス時間的でありながら、一瞬のチャンスを捉えられず後戻りもできずに疾走するペンテジレーアをカイロスの時間の中に閉じ込めがんじがらめに追い込んで行く。
女だけの国アマゾンは、族を絶やさないために男を狩る。この儀礼は、「薔薇の祭り」と呼ばれる。ルールや儀式(薔薇の祭り)は継承と存続の為になくてはならない形式。女王ペンテジレーアはアキレスを狩るために、犬らを引き連れ突進する。轟く雷鳴、犬は群れとなってアキレス目掛け牙をむく。その犬のなかにペンテジレーアも牙を剥いて丸腰のアキレスに襲いかかった。噛み切り食いちぎる女王を見た兵士たちは、常軌を逸し正気の沙汰を失ったペンテジレーアの姿に圧倒される。


彼女は獣と化しアキレスに挑みかかったのか。彼女はアキレスに心惹かれながらも最後までそれに抗い、ただひたすらにアマゾンの女王として族を率いるために掟を守り抜こうとした。彼女にとってもっとも重要だったのは、薔薇の祭りという儀式と、族の掟だったのだろうか。意味や内容、理由以前に彼女の行動を支配していたのは、音や身体的動作にあらわれる彼女の決めごとだったのではないだろうか。仲正昌樹はあとがきにそれを示唆する。「この作品の基本的な構造を一言で要約すると、様々なレベルでのディスコミュニケーションが累積していって、最終的に[噛み付きBissen=キスKüssen=枕Kissen]の混同による、冗談抜きのカオスに至るというものだ。」決めごとを遂行しようとするペンテジレーアにとって、アキレスに捧げられる薔薇の祭りの優しい「キス」は、もはや犬と自分の境界線まで見失い同一化してしまった「噛みつき」に変容してしまう。音韻の混同が、意味内容を通り越して身体動作の間違いを起こしてしまったかのように。そして一族の存続のため「薔薇の祭り」に連れて行くという掟(決めごと)に固執するあまりに破壊し、ついには全てを崩壊させてしまう。我が身の欲望を成就させようとしたアキレスに対し、ペンテジレーアは欲情に呑み込まれながらも一族の長として最後まで闘い抜いた女王ではなかっただろうか。英雄アキレスがペンテジレーアを前に、なんと卑小なことか。族を存続させるための掟に固執するあまりに、逆に崩壊させてしまった。これが女王の悲劇ではなかったか。


そのような何かのための決まりごとにひたすら固執し、ついにはそこに介入した相手から殺意を誘った物語にP.T.アンダーソン監督「ファントム・スレッド(亡霊の糸)」を思い起こす。アンダーソンは実話に基づく石油採掘山師の執念を描いた「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、サイエントロジーの教祖を題材にしたと言われている「ザ・マスター」などデモニッシュなエネルギーを描写する作品で知られる監督である。音楽はスティーヴ・ライヒからも評価を受けているレディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドが手掛けている。「ファントム・スレッド」は、ダニエル・デイ=ルイス扮するロンドンの上流階級の顧客を持つ天才仕立て屋レイノルズの前に突如現れた粗野な若い女アルマに、秩序正しい日常を掻き乱される話である。服を仕立てることに取り憑かれたようなレイノルズの日常は、朝食のメニューのひとつひとつから靴下の選び方、声をかけるタイミングに至るまで自分の決めごとに沿って遂行される。それが乱れることを許さない。その日常にノイズのように入り込んできたアルマは、規律だった彼の世界を乱すだけにとどまらず、レイノルズを愛する所有欲のあまり遂には彼の生命までも自分の手掌に収めようとする。彼女は手料理に毒を潜ませる。日常を乱され仕立て屋としての危機に立たされたレイノルズは、今度は生命の危機を感じさせるアルマとのやり取りに取り憑かれ始める。
エキセントリックなアルマの行為がペンテジレーアに重なるのではない。彼女に重なるのは、一見秩序正しいレイノルズその人である。相手の生命までも操ろうとするアルマ以上に変なのは、それを知りながら今度はアルマから離れられないレイノルズの方である。


「その最も極端な姿を演じ切ることによって、「アマゾン」という呪縛、建国神話を、自らの"アイデンティティ"と共に破壊したのかもしれない。」
「ペンテジレーア」 あとがき 仲正昌樹 論創社


あごうさとし氏は「ペンテジレーア」の演劇空間に闇黒の世界を表出させるだろう。
つづく






参照資料:
「ペンテジレーア」ハインリ・フォン・クライスト著 仲正昌樹訳 論創社
「ケルトの想像力」鶴岡真弓著 青土社
「ジョイスとケルト世界-アイルランド芸術の系譜」鶴岡真弓著 平凡社ライブラリー
「精神について-ハイデッガーと問い」ジャック・デリダ 港道隆訳 平凡社ライブラリー
「〈ジャック・デリダ〉入門講義」仲正昌樹著 作品社
「ファントム・スレッド」映画カタログ 東宝(株)映像事業部
関連サイト:
Actor, Daniel Day-Lewisに-PHANTOM THREDに寄せて
Actor, Daniel Day-Lewisに-PHANTOM THREDに寄せて つづき





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