全体主義の歴史的起源を探求した壮大な著作『全体主義の起原』(一九五一)の著者として知られるハンナ・アーレント(一九〇六-七五)は、よく知らない人からは、全体主義と徹底的に戦った戦闘的かつ人道的な思想家とイメージされることがある。その後の彼女の主要著作のタイトル、『人間の条件』(一九五八)や『革命について』(一九六三)も、そうしたイメージを補強しているように思える。
しかし、実際に彼女の著作をちゃんと読むと、少なくとも、妥当すべき敵を最初から分かりやすく名指しして、その悪行を次第に暴き出していく、というようになっていない。『全体主義の起原』からして、「全体主義」を産み出した悪の根源が何であるか一義的に規定しているわけではない。この著作の原題は《Origins of Totalitarianism》。「起原」が複数形になっている。著者自身の翻訳によるドイツ語版(一九五五)では、《Elemente und Ursprünge totaler Herrschaft》と、「諸要素Elemente」という言葉が追加されているうえ、イデオロギー的な実体がありそうな語感のある「全体主義」に代えて、「全体的支配」という表現を使っている。
このタイトルが示唆しているように、『全体主義の起原』でアーレントは、近代国民国家が成立する前後からのヨーロッパ史を振り返りながら、そこにナチスやスターリン主義時代のソ連のような「全体的支配」に繋がっていく、どんな要素があるか、いろんな種類の文献を動員して明らかにしようと試みる。その文献というのは、歴史学、経済学、思想史、社会哲学、文学、神学と多岐にわたる。ヨーロッパ近代史、延いては、キリスト教の誕生以来のヨーロッパ史の総ざらいのようになっているので、ヨーロッパが共通に抱える問題と、「全体的支配」に直結していく問題との境目が見つけにくい。というより、わざとそうした印象を読者に与え、問題の多面性・複合性を考えさせようとしている、と言うべきだろう。
アーレントは、ドイツ語版で本文が一〇〇〇頁近くにもなる大著『全体主義の起原』を通して、ヨーロッパの知識人たちが共有する歴史、思想、文学等の知的伝統の中から、人民全体が一つの支配体制へと自発的に同調していくメカニズムを産み出したと思しき諸要素を洗い出し、それらがどのように組み合わっていったのか探っていく、気の遠くなるような作業を続けている。キリスト教神学やマルクス主義のような、分かりやすい歴史発展の原理によって、記述が進んでいくと考えて読み始めたら、そんなもの全然見当たらないので、途方に暮れてしまう。
『全体主義の起原』は三巻構成で、第二巻「帝国主義」は、タイトルからして悪玉/善玉がはっきりしていそうだが、そのつもりで読むと、完全に誤読するか、ひたすら苛立ちを覚えることになる。コンラッドの『闇の奥』やキプリングの『キム』なども参照した、帝国主義に関わった様々なアクターの間の関係をめぐる複雑な記述を読むと、どこに本当の悪魔が潜んでいるのか分からなくなってくる。
こうした、キリスト教やマルクス主義の善悪闘争史観にはまることをわざと回避しているような複雑な歴史理解は、アーレントのほとんどの著作に見られる特徴である。彼女がそうした「歴史」記述を心掛けるようになった背景として、①ユダヤ系ドイツ人として育ったため、キリスト教的な歴史観に対して自ずと距離を置くようになったこと②彼女の二人の夫や、親しい関係にあった文芸批評ヴァルター・ベンヤミンなど、マルクス主義の主流とは異なった視点を持つ左派知識人たちとの繋がり③古代ギリシア以来のヨーロッパの哲学・神学・文学・歴史など、人文諸科学の広範な領域に通じる教養を持っていたこと④ハイデガーやヤスパースなど、実存主義的な哲学者の下で学んだこと--などを挙げることができよう。
普通の読者であれば、ナチスのような非人間(人道)的な虐殺を可能にする心理的状態や人格形成がどのようなものかさっさと知りたいと思うところで、アーレントは「非人間的」とはどういうことなのか、私たちは「人間的」と言う時、どういうことを念頭に置いているのか、歴史的に遡って考えようとする。
無論、ほとんどの人は、そういう問いを提出されても、「そんなに厳密に定義したうえで、『非人間的』って感じているはずがないだろ。でも、何が非人間的なのかって、ちゃんとした人間なら分かるだろう」、としか思わないだろう。そういう感覚の人が、アーレントをちゃんと読もうとすると、観念的な理屈とか蘊蓄のようなものばかり出てくるので、すぐに失望してしまうか、アーレントの議論の本筋と関係なく、「人種主義」「帝国主義」「均整化」「テロル」といった、印象的な単語に飛びついて、それがエッセンスだと思い込み、分かった気になるかのいずれかだろう。
アーレントは、ナチスの行為の"非人間性"について語る時、西欧の歴史において「人間」という概念にはもともとどういう意味があり、それがどのように変遷しながら、法や政治の制度に組み込まれ、それがナチスの下でどのように変質、もしくは失効したか、概念史的な解明を試みる。その時代の人々の思考や行為を規定する主要概念を、様々なジャンルの影響力のあったテクストから読み取っていく。
このように説明すると、アーレントがいかにも模範的な古典文献学者のように聞こえるかもしれないが、古典文献学の手法で、近代国民国家における反ユダヤ主義、帝国主義における人種的表象、強制収容所の管理方法を論じるのは普通ではない。古典文献学者はそんなことはやらない。古典的なテクストを読む時の哲学的な厳密さ、文芸批評的な細部への拘りを、生々しい政治的な素材に適用するのがアーレントの持ち味だ。
晩年のアーレントは、自分のことだけ考える利己的な人間たちを一つの政治的共同体へとまとめあげる政治的想像力とはどういうものか明らかにするため、理性と意志の関係をめぐるアウグスティヌスからスコトゥスまでの神学的議論や、カントの美学の著作である『判断力批判』(一七九〇)における「共通感覚」論を検討している。自分が修士論文、博士論文を書いて専門家になった、狭い意味での専門分野に専念するのが哲学者の仕事と考える、現代の普通の哲学者には考えられない、大胆さ、あるいは、回りくどさである。
アーレントの博士論文『アウグスティヌスの愛の概念』(一九二九)では、アウグスティヌスの「愛」の概念から、人が他者との関係性を通して自己を形成する場である「世界」に対し、初期キリスト教徒がどのように関わっていたか、実存主義的な視点から論じられている。もともと教授資格論文として準備していた『ラーエル・ファルンハーゲン』(一九五七)では、一九世紀前半のベルリンで、多くの知識人が訪問する文芸サークルを主宰した、ユダヤ系の女性の生き方を通して、パーリア(階層システムの外部)に位置する女性にとっての「解放」の意味について考えている。
アーレントは、さっさと白黒を付けてほしい正義感の強い一般読者も、専門性に拘る真面目な学者も苛々させる。空気を読まないで、自分流の思考スタイルを貫く思想家だ。そのためしばしば物議を醸した。ナチスのユダヤ人問題専門家アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記である『イェルサレムのアイヒマン』(一九六三)では、ほとんどの人の期待と反したアイヒマンを描いたことで、多くの友人を失い、すさまじい非難の嵐に直面した。
周囲の人たちの顔色を窺うことなく、西欧的な「人間」を構成する諸要素を徹底的に分析する。その分析の果てに、何が見えてくるのか分からない。しかし、それこそが「哲学」ではないのか。そう思えない人間は、アーレントなど読まない方がいい。