「18世紀から19世紀にかけ発達した西洋の芸術音楽のコンサートにおいては、聴取のスタイルは固定的なものだった。すなわち、聴衆は、ある曲目の演奏を聴くためにコンサートホールに出かけ(選択的聴取)、そこでは皆ステージに向かって坐り(一方的聴取)、ただ音楽を聴くことのみに専念し(専念聴取)、音に注意を集中させ(注意深い聴取)を行うのが常であった。」
「1930年代に入ると、欧米に音楽サービスの会社が相次いで生まれた。[中略]そこで流される音楽は、クラシックやポピュラー音楽の名曲が耳ざわりの良いように、目立たないように編曲されたものだった。アメリカの歴史家ダニエル ブーアスティンは、ミューザックについて、『音楽はもはやそれぞれ独自の形式を備えた個々の作品ではなくなったのである。それは無限につづく、均質の流れになったのである。』と評している。こうしたBGMは、[中略]不可避的に音楽に接触させられてしまい、しかも当人には音楽の操作ができない。[中略]BGMの聴取は、コンサートホールにおける聴取の対極にある。BGMは、初めから音が聴き手の周辺に漂うように仕組まれ(周辺的聴取)、仕事や買い物をしながら(並行聴取)、音楽に対して注意を集中させることなく(散漫聴取)聴くスタイルのために作られている音楽なのである。」
波の記譜法 環境音楽とは何か 小川博司 他 時事通信社より引用 (※下線は当方による)
ジョン・ケージが嫌うところのミューザック≒BGM、の洗練されたものをブライアン・イーノはアンビエントミュージックと称し、目指していたとバーグマン+ホーンは指摘している。それは環境音楽の祖と言われるサティ(ミーヨ)の家具の音楽、そしてケージへの流れという当たり前のコンテクストからすると人によっては不可思議な発想と思えるかも知れない。
ダニエル・シャルルとの対談で、ケージは「ポストウェーベルン派とは違ったやり方で」「ウェーベルンに拠り所を求め」たことになっている。これに関して椹木は、ケージは「ウェーベルンから大きなインスピレーションを受け、ウェーベルンの持つ可能性を西洋近代音楽の行き止まりから別の方向へと引き延ばしていったひとり」であり、沈黙という「西洋音楽の伝統からすれば認めがたい要素を、ほかでもない西洋音楽のもっとも構造化されたスタイルのなかに感じ取り、その感覚を別の方向へと向けて拡散して行ったということだろう」と述べている。(※下線は当方による)
この「アナザー・スピリチュアル・ワールド」という文では西洋と東洋、ラ・モンテ・ヤングにおける持続とケージにおける沈黙、それらとウェーベルンの関連性、さらにシェーンベルグと反復、O.フィッシンガーとケージのリズムと精霊、ヤングと非楽音と精霊をキーワードとしてイーノについても実に巧みに語られている。
前出の当たり前が当たり前とは限らないことがわかったところで話をもどす。
竹田は「ビフォー・アンド・アフター・イーノロジー ブライアン・イーノの本質と役割」という文でイーノの音楽が持つ「心地よさ」は、ラモンテ・ヤングやテリー・ライリーの音楽ほどの「計算」から生じているものではないと言う。「では何が心地よいのか。一つのヒントは[中略]常時使用している二つの機材、つまりイコライザーとエコーである。もう一つのヒントは、記者会見で好きな画家を訊かれて、真っ先にセザンヌを挙げ、ニューペインティングスは好きではないと答えたことだ。」と述べ、アンビエント1、2には「不協和音やノイズが使われていないわけではないのに、イコライザーによって刺激的な音も丸みを帯びている。また、かすかにかかるディレイ・タイムの短いエコーは、音の輪郭を滲ませる。そう、これは映画で言えばソフト・フォーカスの技法ではないか。[中略]セザンヌの絵画は、イーノの音楽のモデルとして十分に納得できる。」「イーノのアンビエント・ミュージックが差し出すのは、趣味の良い一片の壁紙のようなものではなかったろうか。」と竹田は書いている。
イーノのアンビエントシリーズ2から4が持つこの様な整頓された中途半端さ、軽さをデヴィッド・ボウイとの「ロー」「ヒーローズ」におけるインストゥルメンタル曲からも感じることがあるのは私だけであろうか。これを「ポップ」と言っているのか、受け取っているのか、私にはよく分からない。少なくとも70年代のジャーマンロック(抽象化されたクラフトワークを含む)やフリップ&イーノ、オブスキュアレーベル(OBS10は除く)からはそのポップさを感じることはない。さらに私はビーチボーイズの「フレンズ」「オランダ」からもそのポップさ、雰囲気を感じたことはない。実際、フレンズは商業的にも振わなかったようだ。
山下はビーチボーイズのスマイルについて「排他的な要素がないんだ。聴く者をシャットアウトしない。スポイルしない。中略 ぼくは"寛容な実験作"って言ってるんだけど。実験作ってのはほとんどが非寛容なんだよね。アヴァンギャルドというのはそうした不寛容がある意味目的でもあるんだけど。こんなにアヴァンギャルドなのに、『スマイリー・スマイル』も『スマイル』も実に寛容なんだ。それがとてもストレンジかつ偉大なところ」と述べている。さらにスマイリー・スマイルがどう聴こえたか問われ、「あのスタティックさっていうのは一種異様」「他になかった」「67年でしょ」と語った後、急にフリージャズの話となり、レスター・ボウイ、ドン・チェリー、阿部薫との「妙な共通点というか、空気感というか、そういうものがあって」スマイリー・スマイルは、「ポピュラー音楽としては完全に敗北作だけど、実験音楽としてはものすごく個性的」としている。
アヴァンギャルド自体が不寛容(非寛容)なのではなく、むしろそれを不寛容と捉えることの方が寛容ではないことの現れではないか。「スマイル」「スマイリー・スマイル」は既存の形式に拘泥しない、偏重しないアヴァンギャルドだからこそ寛容であると人は感じると解釈した方が論旨に無理がないのではないか。ポップとアヴァンギャルドは対極となる概念なのだろうか。だとしたらスラップハッピー(特にヴァージンレーベルからの「カサブランカムーン」)やB.フォンテーヌの「ラジオのように」(AECも参加)等の存在をどう捉えるのか。
「フレンズ」というアルバムは、急にフェードアウトしたり、唐突に一瞬エコーがかかったり、極端に短すぎると感じさせる曲があったり、ポップソングとして当たり前の進行をしてくれない。電子音から始まり、M.デニー+YMO様となりドゥルッティ・コラムみたいになって終わる「ダイアモンド・ヘッド」、声にフライジング効果か、レズリースピーカーを効かせているのか「ビー・ヒアー・イン・ザ・モーニング」。随所にストレンジな表現が見られる。またアルバム全体を通してベースとドラムが前に配置され、オンマイクの近接効果も含めてか低音が目立つ、これはUK盤LPのみで発売されたモノラルミックスでも同じ傾向にあった。
「D.トゥープが考えるプログレッシブな10枚」で「スマイル」、AMM、ニコ、サン・ラー、M.デイビス「オン・ザ・コーナー」、武満徹映画音楽「勅使河原宏作品集」等とともにスライ&ファミリーストーンをトゥープは選び、そのアルバム「暴動」を「その作られ方がまったく新しかった。それまでの、ドラムは後ろ、その前にベイス、ピアノかギター、そして一番前にヴォーカル、という伝統的な楽器の配列の仕方とはまるで違っていた。ドラムマシンも聞こえるし、[中略]ベイスが凄く大きな音で鳴っている。[中略]音楽の構成のされ方という意味でまったく新しい何かが作られている雰囲気があったんだ。[中略]つまり、リズム・セクションとソロ、ではなくなったと言うことだ。」と説明している。
スライと同様に「フレンズ」も音の構成のされ方が面白い。
イーノは言う「60年代半ば[中略]まだ音そのものをいじるのは『ただの』技術的な作業だという先入観があった[中略]そして曲を書いたり楽器を演奏したりするほうが、真剣で創造的な作業なのだと思われていた。アンビエントミュージックで、わたしはこの音づくりの活動こそが新しい音楽の独自の特性であり、それこそが作曲上の関心の中心となるべきだということを示したかった」と。さらに自然の空間を補う技術とし、「いろいろな仮想空間にいる登場人物の『所在地を伝える』ために」、反響室、テープディレイなどが、まずラジオドラマで使用されるようになり、その手法を「本当に広げたのはポピュラー音楽だった」と書いている。その事例としてイーノ自身が好んで聴いていたエルヴィス・プレスリーの「声にかけた変な」残響効果をあげている。若い頃イーノはプレスリーに熱中したが、その旋律やイメージではなく、声にかけられた エフェクトの方に熱中したのだという。
「オランダ」のLPにはB.ウィルソンが描いたスリ−ヴのボーナスEP「マジックトランジスターラジオ」が付いていた。内容は、楽曲と語りと効果音で、ラジオの仮想空間ドラマを構成したものだった。
つづくかも
菩提寺伸人
参考文献
実験的ポップミュージックの軌跡 その起源から80年代の最前線まで B.バーグマン+R.ホーン 若尾裕訳 勁草書房
ジョン・ケージ 小鳥たちのために 青山マミ訳 青土社
テクノデリック 鏡でいっぱいの世界 椹木野衣 集英社
地表に蠢く音楽ども 竹田賢一 月曜社
ザ・ビーチ・ボーイズ・ディスク・ガイド 萩原健太 レコードコレクターズ増刊
アヴァン・ミュージック・ガイド 作品社
プログレのパースペクティブ ミュージックマガジン増刊
A YEAR Brian Eno 山形浩生訳 PARCO出版