場をもたらしてくれたあいちトリエンナーレと港千尋に感謝を込めて
人が未知のイメージや言葉を求めるとき、それは大空に架かる虹のように生じるかもしれないし、休息する旅人の夢のなかに現れるかもしれない。創造は時空を超えて出会う、数かぎりない記憶の十字路で起きるのだ。
「夢みる人のクロスロード 芸術と記憶の場所」 港千尋
終えた旅から帰って来たのは、家々に灯がともりはじめる頃だった。
腰を下ろし中庭の手水鉢を眺め、夕方の音に耳を澄ませた。蝉のわんわんする響きが旋回し、空気に滲む。すぐにも降り出しそうな気配のなか、紅葉の葉が緑の光を薄く放っている。小鳥はやってきただろうか。
手水鉢が気になりだしたのは、ここ半年のことだ。正しくは手水鉢に残された跡を気にしている。
もしかするとこれは末井さんの影響かもしれない。末井幸作さんは差し上げた柿の種子を育て、その成長写真を毎年送って下さっている。訪ねると、大抵は青林工藝舎の雀が飛びまわっている部屋に通して下さる。一時期は、ハムスターや障がいがある雀、犬が同居していた。その畳部屋では、誰も肩身の狭い思いをしない。誰ものなかには、訪問客も末井さんも動物たちも入っている。末井さんはそのような人だ。
昨年の猛暑で紅葉を枯らしてしまった。もしかしたらまだ生きているかも知れない。一抹の期待に、毎朝手水鉢の水をすくっては枯れ木に与え続けた。半年経った春、芽吹いた。手水鉢が澄んだ水に満たされ、朝ははじまる。葉は広がりを見せた。
その水を目当てに小鳥たちがやってくるようになった。小さな身躯を振るわせ、水が跳ね上がる音を聴きたくて、私は早起きを続けた。小鳥たちは水浴びをし、まっすぐな声を天に向かって響かせた。
ヒヨドリらしきカップル、山鳩のような鳥、丸い顔に丸い目のもの、頭でっかちなもの、鳥の名前はどうでも良かった。カラスが来るかも知れなかった。誰も来ないかも知れなかった。それは関係なかった。それでも待っていた。
確かに私の家のなかの出来事ではあるけれど、中庭は無条件に開かれている。手水鉢は、私が主(あるじ)であるけれど、小鳥たちは決して私の客ではない。客であって客ではない。小鳥たちの水浴びの痕跡に、私は彼らのもてなしを受けている気分だった。
旅のはじまりは2016年8月10日、あいちトリエンナーレ開催の前日のことだった。
夏期休暇のはじまりは翌日からであったけれど、届いた港千尋氏からの招待状に添えられた大きなワークブックに架かった虹の写真と、ホモファーブルの文字に、どうしても開催前日の内覧会に参加したくなったのだ。虹(光彩のスペクトラム/連続性)と、物を作って来た人類の痕跡に、解けない秘密が照らされる気がしたからだ。
スペクトラムという言葉をとりわけ頻繁に聞くのは精神科医の夫からだ。アキスカルやガミーといった名前とともに双極スペクトラムの説明を受けたことがある。うつ病のなかにも躁的な因子を持つ場合があり、双極性障害と単極性うつ病は互いに独立したものでなく、移行性を持つ双極スペクトラム障害という概念が提唱されているらしい。その言葉を聞く度にイメージするのは、白色に輝く太陽光が屈折、七色に光を分け、つながり広がる虹の帯だ。
一日早めた夏休みに、思いもかけず出会ったのが小杉武久氏だった。インスタレーションの脇に置かれた椅子に腰掛けているのが小杉武久だと知ったとき、そろそろと近づいた私ではあったけれど、訊ねたいことは既に整理されていた。長い間、繰り返し持つ疑問だったからだ。イースト バイオニック シンフォニアやタージマハル旅行団のレコードを示し、彼の名前を教えてくれたのは、夫だった。
私の質問は、ジョン・ケージの音楽についてだった。
いつかケージと関わった演奏者に訊いてみたいと思っていた。数年前キッドアイラックホールで大友良英、sachiko Mと共演した刀根康尚のスピード感に驚き、演奏後、刀根康尚氏の販売CDを求めようとした私に「これは即興に使うために作ったもので、一枚しかないし、困ったな」「それに自分でも何が出るか分からないんだ。出た音に即興してる。ライヴで使うし、あげたいけど困ったな」とご自身の演奏道具であるCDをねだったと勘違いされ、私物を見つめておられた刀根氏だった。申し訳なさそうな彼の表情から、私の興奮が伝わったことがすぐに察知できただけに、今度は私の方がさらに申し訳なくなってそれ以上の話ができなかった。
高橋アキ氏によるケージのレクチャーコンサートの連続講座は6、7年前のことだっただろうか。出席されていた勅使河原宏のプロデューサー野村紀子氏から、「直接(高橋)アキさんに質問するように」と背中を押されながらも質問しなかったのは、質問自体に確信が持てなかったからだ。音楽をさほど聴かない私の思い違いに過ぎないのかも知れない。それから数年間、それでも何度聴いても同じ印象を受けていた。ジョン・ケージの音について。
カニングハムとケージは、互いの音や身振りに互いが反応しているように思うが、全く影響を受けずにいることができるのか?
チャンスオペレーションは作為的な無作為ではないだろうか?ケージの作品がケージだと分かるのは、ケージのスタイルがあるからではないだろうか?
ケージの音楽から情感が溢れ出るように思うのは、私の錯覚だろうか?私がケージの曲から想起する風景は、叙情的な色彩を帯びている。
小杉武久は億劫気にゆっくりと小さな声で口を開いた。
「こういう話はしたくない。体調も本調子というわけじゃない」
それでも横に位置する私と同じ方向に顔を傾けて、質問の都度、静かに頷いた。
全く影響を受けないと言うのはなかろうと思う。またそれを狙っていたのでもないと思う。人というひとりの感情を越え、音に対し平等であろうとした彼の態度と関係しているのではないだろうか?彼は仏教についてよく考えていた。特に禅について思っていた。もっとも彼は彼自身を大切にしていたには違いないだろうと思うけれど、他の人のためにとても良くしていた。まだ無名の人などにとても尽くしていた。人に対し、その役に立とうと心がけているようだった。その彼の態度と、彼の音とは無関係ではなかったと思う。「今の自分はあまり健康的にも良い状態とは言えないから...ちゃんと伝えられるか...」
そんな言葉を間に挟みながらも、彼は話し続けた。
人に対しても、自分を思うように人を思い、その人のために力を注ごうとすること。それを彼が仏教の思想から受け取ろうとしたことではなかったのだろうか。あらゆる音に対し公平であろうとすること。
ケージと最後に会った時、彼は笑って言ったんだ。
「悟りは難しい」
それが最期の言葉となった。
「このような話をしたくはないし、このような話をしたいとも思っている。同時に同じように。矛盾しているのだけれども」
ケージの音楽は、おそらく感情や、そのようなものを越えた所にあったのだろうと思う。もっと音に対し公平で。あなたが言う作為と思うところのものも、彼が自分を乗り越えようと思うもの、ある偏りを越えようとするところ、それをどう越えられるのかをやっていたのではなかろうか。
旅を終え帰宅した雨の夜に、島田璃里のサティ、小杉武久の即興デュオのレコード「記憶の海」を聴いた。どこか懐かしさを有する不思議なサティの旋律に、小杉武久のヴァイオリンはメロディーを引っ掻き、きしみ、苦しげに掠れた。時折、聴く者を寄せつけず攻撃的に放たれるノイズは、慈しみと憐れみを同居させているようで、私は雨音に耳を傾けた。
拒まれはしたけれど、夫への土産にと、非公開を条件に撮らせて頂いた写真の小杉武久は穏やかに笑っている。
明日小鳥は来るだろうか。
"絶対的な歓待のためには、私は私の我が家(マイホーム)(mon chez-moi)を開き、
(ファミリー・ネームや異邦人としての社会的地位を持った)異邦人に対してだけではなく、
絶対的な他者、知られざる匿名の他者に対しても贈与しなくてはなりません。
そして場(=機縁)を与え、来させ、到来させ、
私が提供する場において場を持つがままにしてやらなければならないのです"
ジャック・デリダ『歓待について――パリのゼミナールの記録』(廣瀬浩司訳・産業図書)
関連ブログ:
「オリジナルLP 2014年5月」rengoDMS
参照文献:
『夢見る人のクロスロード 芸術と記憶の場所』港千尋編・平凡社
『歓待について-パリのゼミナールの記録』J.デリダ 廣瀬浩司訳・産業図書
『テロルの時代と哲学の使命』J.ハーバマス、J.デリダ、G.ボラッドリ 藤本一勇等訳・岩波書店