一九九〇年代くらいまで、左翼はインターナショナルな価値や正義を志向し、ナショナリズム、国家主義、民族主義には徹底的に反対するもの、というのが政治思想の相場であった。現在では、自らが属する共同体の利益を最優先すべきだという態度を取る左翼論客はさほど珍しくなくなったが、彼らの多くは、新自由主義的なグローバリゼーションに抗して、福祉国家の恩恵を守る、という消極的な態度しか示せないでいる。
自然科学志向が強すぎて、袋小路に陥りつつあった分析哲学に、プラグマティズム的な柔軟さを回復させることを目指したローティの政治的スタンスはユニークである。彼は「左派」を自認しているが、マルクス主義やフランクフルト学派、精神分析やフーコーに依拠した差異(脱同一化)の政治のような、一般に左翼知識人の間で最もポピュラーで影響力があると思われている諸理論とは一線を画している。
彼は、これらを外来の理論で、アメリカの政治文化にあまり適合しておらず、実効性の低いものと見なし、見かけの派手さに惹かれて、それらを信奉する者を「文化左翼 Cultural Left」と呼ぶ。それに対して自らのように、アメリカ固有の左派の伝統に属する者を「改良主義的左派 Reformist Left」と呼ぶ。後者の例として、ローティは「進歩派の運動 Progressive Movement」を挙げている。
フランス革命やヘーゲル=マルクス主義の文脈で「進歩」と言うと、人類の普遍的な発展の法則のようなものが思い浮かぶが、ローティの言う「進歩派」は、そうした形而上学的な法則に基づく壮大な世界観とは無関係の、一九世紀末から第一次大戦期にかけてアメリカで活動した各種の社会改良運動だ。運動の中核になったのは、ジャーナリスト、弁護士、教師、医師、牧師、ビジネスマンなどの中産階級である。具体的には、地方政治の腐敗や非効率性を批判し、住民投票やリコール制の導入や女性参政権の実現による民主主義の徹底、学校の創設による就学率の改善、科学的方法による地方財政、医療・健康、交通、都市整備の充実などに取り組んだ。
「進歩派」にはセオドア・ローズヴェルトやウドロー・ウィルソンのような大統領になる大物政治家も含まれていたが、ローティが注目するのは、現在でも有力なリベラル左派系の雑誌である『ザ・ニュー・リパブリック』を創刊したジャーナリストのハーバート・クローリー(一八六九-一九三〇)である。彼は、一九七〇年代以降ロールズ(一九二一-二〇〇四)によって代表されるようになった、アメリカ的な意味での「リベラリズム」、つまり格差是正や公正な機会均等をも志向する自由主義を基礎付けた一人と見なされている。
クローリーは、経済的に自立した自営農民たちの自由をモデルにした、建国以来のジェファソン的な自由主義は、大工業中心に発展し、人口の大半が企業に雇用されている現代の産業社会には適さなくなっているとして、消極的自由だけでなく、市民の生活を豊かにする積極的政策が必要だという立場を取った。ただし、政府が直接再分配する社会主義的なやり方ではなく、労働組合や協同組合などによる自治の枠組みを強化し、労働者が連帯して自分たちの生活環境を具体的に改善する道を探るべきだとした。彼にとって、人々が責任と利益を分かち合いながら、豊かになっていく民主主義こそが、アメリカの特性だ。
ローティは、「改革主義的左派」の最も重要な思想家として、ウォルト・ホイットマン(一八一九-九二)とジョン・デューイ(一八五九―一九五二)を挙げている。周知のように、デューイはプラグマティズムの哲学者・心理学者・教育学者で、プラグマティズムに基づく市民教育によって、民主主義を活性化することを試みた。彼も「進歩派」の一人で、ローズヴェルト政権のニュー・ディール政策を、プラグマティズムの実験主義の視点から擁護した。
ホイットマンは、南北戦争時代を中心に活動した詩人で、アメリカ的な生活の様々な場面を歌った詩集『草の葉 Leaves of Grass』(一八五五~九七)で知られる。『草の葉』は、詩人の自己形成や世性的自由など様々なテーマを含んでいるが、ローティは、「民主主義」という側面に注目する。ホイットマンは、自らの自由のために民主主義にコミットし、民主主義の共同体としてのアメリカに誇りを持つ普通の人々の精神を歌った。人々を民主主義の希望で導くのは、神ではなく、各人の内なるアメリカだ。『草の葉』には、「民主主義」に直接語りかける「君のために、おお、デモクラシーよ」という詩もある。
Come, I will make the continent indissoluble,
I will make the most splendid race the sun ever shone upon,
I will make divine magnetic lands,
With the love of comrades,
With the life-long love of comrades.
I will plant companionship thick as trees along all the rivers of America, and along the shores of the great lakes, and all over the prairies,
I will make inseparable cities with their arms about each other's necks,
By the love of comrades,
By the manly love of comrades.
For you these from me, O Democracy, to serve you ma femme!
For you, for you I am trilling these songs.
さあ、崩壊することにないしっかりした大陸を創り出そう
太陽がこれまで照らしたうちで最も輝かしい民を生み出そう
同胞たちの愛によって
同胞たちの生涯続く愛によって
神聖なる磁力を帯びた土地を創り出そう
私はアメリカのあらゆる河川に沿って、 また
巨大な湖の岸辺に沿って、また大草原を一面に覆うように、
密集する木々のように厚い友愛を植えつけよう
同胞たちの愛によって
同胞たちの男らしい愛によって
私は、互いの首に腕を巻きつけ合っているごとくに、分かちがたく繋がった
町々を創り出そう
おお、デモクラシー、我が女、あなたに仕えるため、私からあなたにこれらを捧げる
あなたのために、あなたのために、私は声を震わせてこれらの歌を捧げる
こうした、アメリカそのものともいうべき「民主主義」を愛し、育んでいこうとする精神はホイットマンから進歩派やデューイにまで継承された。彼らは、奴隷制や工業化に伴う社会の分断、恐慌など様々な問題を具体的に解決しながら、祖国アメリカ=民主主義を愛すること態度を培ってきた。ベトナム戦争の敗戦でアメリカ人が愛国への自信を失うまで、形而上学的イデオロギーや脱構築の理論ではなく、民主主義的な実践の蓄積の堅固さを信じ、具体的な改善を図る「改良主義的左翼」の伝統は生きていた、という。
無論、民主主義をアメリカと同一視しすぎるローティのスタンスには、左派を視野狭窄に陥らせ、アメリカ的独善を正当化することになりかねない、という批判がフランクフルト学派やポストモダン左派系の論客たちから寄せられた。しかし、様々な価値観が衝突し、確固とした正当性の論拠に基づいて政治を行うことが困難になっている現在、トランプの排外主義的ナショナリズムに左派が有効に対処しえなくなっている現在、自分たちにたまたま与えられた「アメリカ=民主主義」――基礎付けなき民主主義――の伝統を手掛かりに、漸進的かつ実験主義的な改良を試みるローティのスタンスは、きちんと評価されてしかるべきではなかろうか。